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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)4926号 判決 1990年1月30日

主文

一  (甲事件について)

甲事件被告川井八重子は、同事件原告平賀恭子に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五二年五月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

甲事件原告平賀恭子のその余の請求を棄却する。

二  (乙事件について)

乙事件原告甲野春子の請求を棄却する。

三  (丙事件について)

丙事件被告らは、同事件原告川井八重子に対し、各自金六〇〇万円及びこれに対する同事件被告平賀恭子については昭和五二年六月七日から、同事件被告甲野春子については同年六月九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

丙事件原告川井八重子のその余の請求を棄却する。

四  (訴訟費用の負担について)

訴訟費用は、これを六分し、その五を甲事件原告・丙事件被告平賀恭子及び乙事件原告・丙事件被告甲野春子の負担とし、その余を甲・乙事件被告・丙事件原告川井八重子の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(甲事件)

一  請求の趣旨

1 甲・乙事件被告・丙事件原告川井八重子「以下、「被告」という。)は、甲事件原告・丙事件被告平賀恭子(以下、「原告平賀」という。)に対し、二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五二年五月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 被告は、別紙(一)記載の謝罪文を、別紙(二)記載の新聞及び週刊誌に、別紙(三)記載の条件で一回掲載せよ。

3 訴訟費用は、被告の負担とする。

4 第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告平賀の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は、原告平賀の負担とする。

(乙事件)

一  請求の趣旨

1 被告は、乙事件原告・丙事件被告甲野春子(以下、「原告甲野」という。)に対し、一一七二万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五二年四月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は、被告の負担とする。

3 第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告甲野の請求を棄却する。

2 訴訟費用は、原告甲野の負担とする。

(丙事件)

一  請求の趣旨

1 原告らは、被告に対し、各自一億四一二七万二四〇〇円及びこれに対する原告平賀については昭和五二年六月七日から、原告甲野については同年六月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 原告平賀は、別紙(四)記載の謝罪文を、別紙(五)記載の新聞及び週刊誌に、別紙(六)記載の条件で一回掲載せよ。

3 訴訟費用は、原告らの負担とする。

4 第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は、被告の負担とする。

第二  事案の要旨

原告平賀と被告は、共に美容整形女医としてマスコミ等で有名であった。「注入法」による美容整形術につき、被告は、積極的であったが、原告平賀は、右方法は危険であり、止めるべきであると考え両者は対立していた。原告平賀と同甲野は、本件テレビ番組(原告甲野は被告の被害患者の一人として出演)の中で、被告を悪徳医と決めつけた。そこで、被告は、週刊誌等で右番組は原告らの陰謀であるとして強く反論し、これに原告平賀が週刊誌で再び反論し、ついには、本件訴訟にまで発展した。

甲事件は、原告平賀が被告に対し、被告が週刊誌等で原告らの陰謀であると発言したこと及びそれ以前から来院患者に対し、原告平賀を誹謗、中傷する録音テープを聞かせていたことを名誉毀損として損害賠償等を求めた事件である。

乙事件は、原告甲野が被告に対し、被告の豊乳術等により被害を受けたとして損害賠償を求めた事件である。

丙事件は、被告が、原告平賀と同甲野に対し、原告らの本件テレビ番組等の各発言を名誉毀損として損害賠償等を求めた事件である。

第三  当事者の主張

(甲事件)

一  請求原因

1 当事者

(一) 原告平賀は、大正七年六月一八日に生まれ、昭和一八年京城女子医専を卒業した医師であり、同三四年渋谷駅前診療所、同三七年大久保整形外科医院を開業し、同三九年一月被告医院と同一区内の新大久保駅前に平賀整形外科医院を開業し、同五二年一月当時は、原告平賀を含め医師六名、看護婦六名ほか計二〇名の人員をもって、いわゆる美容整形の診察、治療に従事していた。

(二) 被告は、大正一〇年六月三日に生まれ、昭和一八年東京女子医専を卒業後、慶応義塾大学医学部において医学博士の学位を取り、ニューヨーク大学医学部大学院を卒業し、アメリカ式美容医学を研究し、同五二年一月当時は、肩書地において川井整形外科医院を経営し、医師は被告一人で、ほかに看護婦二名を含む三、四名の人員でいわゆる美容整形の診察、治療に従事していた。

2 本件紛争の背景

(一) 原告平賀と被告は、昭和四八年一〇月ころ、株式会社フジテレビジョンの放送するテレビ番組「三時のあなた」に一〇数名のいわゆる美容整形外科医と共に出演した。

その際、原告平賀及び同人の長男であり整形外科医である平賀義雄は、被告が異物注入法による手術を行っていることに対し、米国ではFDA(食品医薬品局)が最も無害と言われている医用純粋シリコン液(以下、シリコンフルイド、ジメチルポリシロキサン等を総称して「シリコン液」という。)さえ動物実験は別として、人体に注入することを禁止している事実を指摘し、形成外科医が一般美容目的で異物注入法を行うことは医師のモラルに反する危険な方法であるから即時中止すべき旨勧告した。

(二) 美容整形目的の下に行われる異物注入法による豊乳術の危険性、違法性、非倫理性については、大森清一監修「形成外科学」(<証拠>)を始め、我が国及び米国の医学諸文献によって明らかとなっていた。

すなわち、昭和四〇年代には、既に米国においてはもちろん、我が国においても、美容整形目的で異物を体内、特に乳房に注入することの危険性が再三にわたり警告されていた。そして、その異物がワセリンであるかパラフィンであるかシリコン液であるかは根本的に差がなく、異物注入時における血管閉塞の危険性、注入後の硬結、腫瘤等の発生、更に強皮症、ヒトアジュバンド病等を誘発する可能性、乳癌等の発見を困難にすること等、異物注入法による美容整形術の被害、後遺障害、危険性は多くの研究者により昭和四〇年代初期から実証され、指摘され、かつ、中止を強く求められていた。

被告は、このような事情を熟知しながら、あえて美容整形術として、異物注入法を例えばテレビ番組を通じてこれを実演するなどして、被告だけの独自の技術で卓越した効果と安全性を持つものであると宣伝し、積極的に勧めていた。

そこで、原告平賀と平賀義雄は、異物注入法が有害かつ危険であるにもかかわらず、これを安全無害であると宣伝する被告の態度を批判し、美容整形目的での異物注入法が有害であり、行ってはならないことが一般の医師の間における常識であることを明らかにするため、右番組において右発言に及んだのである。

3 被告の名誉毀損行為

(一) 録音テープによる名誉毀損行為

被告は、原告平賀と平賀義雄から、テレビ番組において自分が批判されたことを深く恨み、原告の名誉を傷つけて報復しようと企て、昭和四九年初めころから同五一年ころに至るまでの間、被告医院において、来院した多数の患者一人一人に対し、「-前略-ですからうちではほかの整形と違って、朝から晩まで患者がごった返しておりますね。それは評判がいいから、そして手術なんかも二、三年待っていただく方がざらなんですよ。そしてお断りする患者さんも大変います。そのお断りした方々がほかの整形さん、例えば平賀なんかへ行きますと、技術が悪いからお顔なんかですとお化けみたいになって、身体の手術の場合は前以上に症状が悪くなって、また逆流して院長先生のところにいらっしゃる方が跡を絶たないんですね。-後略-」という、原告平賀に対する中傷を内容とする録音テープを再生して聞かせ、あるいは右録音テープのほかに、「平賀整形へ行くと酷い目にあう」旨を看護婦に補足説明させて、原告平賀の名誉を毀損した。

(二) 新聞、週刊誌による名誉毀損行為

また、昭和五二年一月二七日午前八時五五分から放映された株式会社日本教育テレビ(現在の商号、全国朝日放送株式会社、以下「NET」という。)のテレビ番組「モーニングショー」の中の「三〇万で失った処女を!整形医を告発した女」というタイトル番組(以下、「本件番組」という。)において、被告の異物注入法の後遺障害を始め、被告の医師にあるまじき金銭目当てのあくどいやり口の被害の実態が、三名の患者によって明らかにされた。

その際、原告平賀は、被告が本件番組への出演を拒絶したため、放送直前になってNETから突然同番組への出演を依頼されて出演し、同番組の最後において、出演した患者の一人を診察した事実を述べ、被告の治療方法を批判した。

被告は、これを知り、社会的非難によって、自己の美容整形医としての地位と信用が失墜することを恐れ、本件番組があたかも被告を陥れる目的で仕組まれた陰謀であるかのように世間に印象づけようと企て、その後に発表された新聞、週刊誌に対して、「本件番組は三人の女性をスパイに仕立て罠にかけようとした陰謀で、仕掛け人は原告平賀である。」という趣旨の事実に反する中傷的発言を繰り返し、もって原告平賀の名誉を毀損した。

その発言の詳細(主要部分の記載を引用)は、次のとおりである。

(1) 東京スポーツ 昭和五二年二月五日付け(以下、(2)から(7)までの日付はすべて昭和五二年)発行部数約八四万八五〇〇部(<証拠>)

「これはハッキリとした私をおとしいれようとする陰謀です。過去に、ありとあらゆる妨害を受けていますし、今度の仕掛け人は誰かわかってます。平賀恭子先生です。」

(2) 週刊文春 二月一〇日号(二月三日発売)発行部数四五万部(<証拠>)

「この世界はスパイがうようよしてるんです。他の同業者が彼女ら三人を仕掛人にしてやらせたのに違いありません。-中略-十日後に納得のいく返答がない場合は、テレビ局と匿名の女性三人と平賀さんを名誉毀損と営業妨害で告訴します。ええ、やりますよ」

(3) 週刊女性 二月二二日号(二月八日発売)発行部数五〇万部(<証拠>)

「どうしてこのようなことがわたしに向けられるのかといえば、“著名度への妬み”“中傷”としか考えられません。このような、いわれのない中傷や非難に対し、わたしは名誉毀損、営業妨害で、テレビ局や三人の患者、そして平賀恭子さんを告訴するつもりです」、「わたしの営業妨害のために同業者が放った悪質なスパイで、わたしを罠にかけようとする“仕掛け人”です」

(4) 週刊女性 三月八日号(二月二二日発売)発行部数五〇万部(<証拠>)

「テレビで一方的に私の手術ミスだといわれ、告訴を準備していたら先方から告訴されるなんて。常識では考えられません。平賀さんは、私の告訴を恐れて反撃をくらまそうとしたのでしょう。平賀さんや、私の患者だったと称する三人の女性のいうことも一切事実無根です。その私の患者だと称している三人の女性も、名前も住所も明らかにしていません。あの人たちは、平賀さんの仕掛けた人たちだと私はみています。」

(5) 週刊現代 二月二四日号(二月一二日発売)発行部数七〇万〇〇五〇部(<証拠>)

「(この業界には)あるグループがあるんです。私はそのグループにやられたんですわ。-中略-あの患者がいっていることはみんなウソ。処女膜再生の値段はせいぜい十万か十二万円くらいのものです。どうせ平賀さんに仕込まれた人なんでしょう。もっとも私としては平賀さんのことは問題にしたくないんですよ。大体、学位を持ってないような人なんですからね。そういう人と同列に扱われることは私のプライドが許しません。」

(6) 週刊大衆 二月二四日号(二月一五日発売)実売部数二〇万三九八〇部(<証拠>)

「まったくのデッチあげです。平賀恭子さんとNETが一体となった事実無根な陰謀です。なにかとマスコミに名の出ている私を、同業者がひきずりおろそうとしているとしか思えませんワ」

(7) 週刊新潮 三月三日号(二月二四日発売)発行部数七二万七〇〇〇部(<証拠>)

「平賀さんのおっしゃっていることは事実無根。テレビで平賀さんが私に対してデッチ上げをのべ、誹謗したことは営業妨害、名誉毀損以外の何ものでもありません。それなのに平賀さんが告訴したというのは、平賀さん自身の犯跡をくらますための先制攻撃であるわけです。」

4 原告平賀の被った損害

(一) 原告平賀は、平賀整形外科医院長としての社会的地位及び声望を有していた。

(二) 原告平賀は、美容整形外科は、医療の本質を逸脱してはならず、患者に対して使用する技術は、あくまで医学的基礎に立つ安全確実なものでなければならないとの信念に基づいて、被告の異物注入法を医の倫理に背くもの、美容整形外科の発展を阻害するものと批判する一方、自らは正しい美容整形外科の普及を目指し、常に学問技術水準の向上と人的物的設備の充実に努め、患者に対しては、その悩みを聞き、人生の良き相談相手となるよう心掛けてきた。

(三) しかるに、被告は、ここで問われている異物注入法の安全性に関する医学上の根拠と医師としての倫理に関する議論は一切避けて、前記名誉毀損行為に及び問題の本質が原告平賀と被告の個人的確執であるかのように歪曲している。

(四) 以上のとおり、被告の前記名誉毀損行為により原告平賀の被った精神的苦痛は甚大であり、慰謝料として二〇〇〇万円が相当であり、また、原告平賀の名誉を回復するには、被告をして、被告が自己の行為を全く事実に反する誹謗、中傷であることを認め、それによって原告平賀の名誉を傷つけたことを謝罪する内容の謝罪広告を一定の新聞及び原告平賀に対する本件名誉毀損の被告の発言を報じた新聞と週刊誌に掲載させることが必要である。

5 よって、原告平賀は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として二〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五二年五月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めると共に、原告平賀の名誉を回復するに必要な処分として請求の趣旨第2項記載のとおり謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一) 請求原因1(一)の事実のうち、原告平賀が大正七年六月一八日に生まれ、昭和一八年京城女子医専を卒業した医師であり、同三四年渋谷駅前診療所、同三七年大久保整形外科医院を開業し、同三九年一月新大久保駅前に平賀整形外科医院を開業したことは認め、その余は不知。

(二) 請求原因1(二)の事実は認める。

2(一) 請求原因2(一)の事実は認める。

(二) 請求原因2(二)の事実は否認する。

異物注入法についての医学上の論争をするのであれば、学会、医師会を始めそれにふさわしい場所、方法を選択すべきであり、原告平賀が行ったようにテレビ番組において一方的な批判をするのはそもそも許されない。念のため補足すると、シリコン液による注入法の安全性は、以下のとおり確認されており、被告の行った治療に何ら問題はない。

すなわち、シリコン液自体は大森清一監修「形成外科学」を始め幾多の文献に記述されているように人体に対して無害安全であることが今日既に承認されているのであって、被告も含め他の美容整形、形成外科及び他の医科に広く利用され、特に米国では広く治療上人体に使用している。注入法はすべて危険なのではなく、症例、使用する薬剤、患者の体質、注入の部位及びその手術の技術、術後の処置、特に異物反応の対策等を十分検討して行えば安全で治療効果がある。

被告は、米国の著名な医師カーリーン、アシュレイ、ルバン、ガーディン、リースと意見の交換、教示、実技研修を行い、内外の文献を検討し、細心な注意の下に手術を行い、治療効果をあげてきた。

我が国では、シリコン液等の注入について法律、厚生省令その他の禁止令等が出されたことはなく、シリコン液をおよそ乳房に対する注入法による手術に用いてはならないという専門家の確定意見は存しないし、この点に関する状況は流動的である。

乳房への大量注入が許されないという点は定説としても、これ以外のシリコン液注入については逆に無条件の禁止が定説でもなく、どの限度が、また、どの方法が許され、どの方法が許されないかは未定立である。要するにシリコン液注入法については、絶対的な使用の肯定も逆に絶対的な使用の否定もなく、改良と臨床を積み重ねる過程で、個々の患者の肉体的、精神的な特性、病状、必要性に応じて医師の倫理と責任とにおいて慎重に量を限定しつつ注入し観察するなどの方法が求められていたのである。

3(一) 請求原因3(一)の事実は否認する。

(二) 請求原因3(二)の事実のうち、原告平賀主張の日時に、本件番組において、被告の被害者と称する三名の患者と原告平賀が同番組に出演したこと、被告に出演依頼があったこと、原告平賀が前記患者のうちの一名を診察した事実を述ベたこと(診察の事実については不知)、原告平賀が被告の治療方法を批判したこと及び原告平賀が主張している新聞、週刊誌の記事が掲載されたことは認めるが、その余は否認する。

なお、被告は、本件番組の出演を拒絶したことはない。被告は、NETから放送二日前である昭和五一年一月二五日突然出演依頼を受けたので、既に出演決定済みの被告の患者と称する三名の女性が被告の患者か否か確認するために、事前の対面を求めた。しかし、NET側が被告に対し、対面させた場合には必ず出演するとの念書に署名押印することを強要して事前面接に応じず、右確認ができなかったため、被告はやむを得ず出演しなかった。

また、被告は、原告平賀が主張している新聞、週刊誌の記事について、原告平賀を特定してその行為について断定的な発言をしたことはない。

4 請求原因4の事実は否認する。

三  抗弁(請求原因3(二)に対して-反論権の行使)

仮に被告が請求原因3(二)(1)から(7)までの各発言をしたとしても、右発言は、以下述べるとおり、原告平賀が本件番組において虚偽の事実を摘示して被告の名誉を毀損した行為に対し、自己の正当な利益を擁護するためにやむを得ず反論したものであって、原告平賀の行った言動に比較すると、その方法、内容において適当と認められる限度内にあるから違法性を欠くものである。

1 原告平賀は、その学歴、経歴、世間の評価などが被告と比べ劣っていたことから被告に対して不必要な対抗心と嫉妬心を抱いていたところ、昭和五一年一二月ころ、本件番組に被害者の一人として出演した乙山夏子を利用して、週刊新潮(同五二年一月六日新年特大号、同五一年一二月三〇日発売、<証拠>)に、「『処女膜再生』で稼ぐある女整形医の内幕」と題して被告と客観的に断定できるような中傷記事を書かせるように働きかけ、その取材においても中心となって資料を提供した。

2 そのころ、原告平賀は、徳間書店の社長等に働きかけ、NETモーニングショーに対し被告を誹謗、中傷するための番組を制作するよう依頼した。

3 原告平賀は、NETとの間で、本件番組について数日前から打合せをし、被告医院で診察、治療を受けた原告甲野を含む被害患者と称する人物を紹介したが、NETは他の整形医からそのような紹介を受けることはなく、結局本件番組は、原告平賀から紹介された患者三名だけで構成された。

4 本件番組は、被告の手術により被害を受けたと称する偽名又は仮名及び住所不明のままの女性三名(うち二名は原告甲野、乙山夏子)が顔を隠して、声まで変えて発言し、それぞれ被害事実と称する全く一方的かつ事実無根の主張をあたかも真実の如く断定し、かつ、被告の実名を挙げ、極悪非道の悪徳医と決めつける内容であった。

5 原告平賀は、本件番組に出演し、乙山夏子が受けたという処女膜再生手術が真実被告によってされたか否かも確認することなく、被告による手術であると断定した上、同女がその手術を受けた直後に自らが診察したと称し、「川井医師の処女膜再生手術は本当にひどい手術です。たった一針だけお義理にばっとしばっただけで、あとは全然処女膜の方は手術はしていないんです。」、「二〇万の手術料はもちろん高い。ああいう手術じゃなくてちゃんとしても一二万くらいのものです。川井さんというのは、とにかく患者さんがそうおっしゃるような方ですね。皆さんがそうおっしゃっていますからね。来る患者さん一人、二人じゃないんですよ。」、「人道上許せないです。」と発言した。

6 以上のとおり、原告平賀は、本件番組制作に当初から積極的に関与した上で右発言をしたものであって、右発言は、事実無根の虚偽の事実に基づいて、被告を公共の伝達機関である放送の場で、しかも医師が同一区内で経営する同業医師を誹謗、中傷するという未だかつて例のない悪質な名誉毀損行為である。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1、2の事実は否認する。

2 抗弁3の事実のうち、原告平賀がNETから「被害者」を教えてほしいと頼まれてこれに応じたこと、本件番組に出演した「患者」について原告平賀がNETに対しカルテに記載された名前を教えたことは認め、その余は否認する。

3 抗弁4の事実のうち、被告の手術により被害にあった原告甲野(録画フィルムによる。)、乙山夏子ほか一名の女性が本件番組に出演したこと、NETが被告を悪徳医であると批判したことは認め、その余は否認する。

4 抗弁5の事実のうち、原告平賀と同甲野が本件番組に出演し、原告平賀が、被告主張の発言をしたことは認め、その余は否認する。

五  再抗弁

原告平賀の本件番組における前記発言は、以下に述べるとおり、違法性を欠くので、名誉毀損行為とはならない。

1 公共の利害

(一) 原告平賀が右発言をした最大の理由は、請求原因2(本件紛争の背景)において詳述したとおり、被告が医学上既にその危険性が明白となり中止されている異物注入法による美容整形術、特に最も危険な豊乳術を、テレビで実演する等大々的に宣伝して手術を続け、その結果後遺障害に苦しむ多数の患者を生み出していたことにある。

(二) そして、原告平賀の右発言は、その内容自体から明らかなとおり、被告に対する医師としての技量に対する批判であり、かつ、被告から受けた異物注入法のため後遺障害が発生している原告甲野に対する関係で、被告がした右治療に対する医学的、倫理的立場からの批判であるから、人の生命、身体の安全にかかわる事柄であり、公共の利害に関する事実に係るものである。

2 公共の利益を図る目的

原告平賀の右発言の目的は、医師の立場から患者が被告からこれ以上の被害を受けないようにすること、すなわち専ら公共の利益を図る目的でされたものである。

3 真実性

原告平賀の右発言の内容は、いずれも真実である。

4 真実と信じる相当の理由

本件番組に出演した三名の患者、特に乙山夏子(本件番組中では山下名で出演)及び原告甲野がいずれも被告の患者であることが仮に真実でなかったとしても、原告平賀には、次に述べるとおり、これを真実と信じるについて相当の理由がある。

(一) NETが、被告に対し、本件番組放送前に出演者三名について、被告受診時に使用したカルテに記載された氏名、受診時期、部位を教えたところ、これに基づき調査した結果、被告もカルテにより右三名全員につき患者であることを確認した。

(二) 原告平賀は、本件番組中のスタジオ内において、出演した三名の患者が、それぞれ写真等で診察、治療した医師が被告であることを確認した上、被害状況、被告の手術状況を述べていることを確認した。

(三) 原告平賀は、出演した患者三名全員を自ら診察しているが、その際乙山夏子及び丙川秋子についてはいずれも被告のカルテと診察日時、部位が一致していること、原告甲野については被告特有の術式による顔面の手術痕を認めたこと、そのほか右患者らが被告の著書である「ハロー・ヴァージン」を所持していたり、被告医院において請求原因3(一)の録音テープを聞かされたことを中心とする被告医院の診察状況等についての供述が、他の被告医院で受診した患者の供述と一致していることを確認した。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

(乙事件)

一  請求原因

1 当事者

(一) 原告甲野は、大正九年三月一日生まれの女性で、昭和四〇年当時から東京都中央区銀座でレストランを経営している。

(二) 被告は、昭和三五年に川井整形外科医院を開業した医師である。

2 原告甲野と被告間の診療契約と治療行為

原告甲野は、被告との間に、昭和四二年ころ、次のとおり各診療契約を締結し、被告は、右各契約に基づき次の治療を行った。

(一) 被告は、初診の昭和四二年四月ころ、頬のたるみを取ると称して、原告甲野の両耳の生え際に沿って両こめかみ部分の皮膚を、縦の長さが約一〇センチメートル、幅の一番太いところが約二センチメートルの木の葉形に、局部麻酔の上、メスで切り取り、約七か所を縫合して、一週間後に抜糸した。原告甲野は、被告に対し、右治療費として五万円を支払った。

(二) しかし、その後も両頬のたるみが取れないため、原告甲野は、同年九月ころ、再び被告から右(一)と同様の手術(ただし皮膚を切り取った位置は両側とも全体に約一センチメートル下がっている。)を受けた。原告甲野は、その一週間後の抜糸の際、被告の勧めに応じて額の皺を取るため、電気やすり様の機械を用い、原告甲野の前額部皮膚表面を長方形に削り取る手術を被告から受けた。原告甲野は、被告に対し、右両治療費として七万五〇〇〇円を支払った。

(三) さらに、原告甲野は、被告の勧めにより同年一〇月ころ、被告に対し注射による豊乳の美容整形を依頼したところ、被告から原告甲野の両乳房上部(より正確には乳首の上約五センチメートルで乳首の上の両脇二か所)各二か所ずつ計四か所に内容不明の液体を注入された。原告甲野は、被告に対し、右治療費として一〇万円を支払った。

3 債務不履行

(一) 前記2(一)(二)の二度にわたる両頬のたるみ取りの手術の際、被告は、原告甲野の両こめかみ部周辺の頭髪を剃ったが、手術後も同部分の頭髪は再生しなかった。かえって、昭和四二年一二月ころから両部分とも周囲の頭髪が大量に脱毛し始め、同四三年九月ころには、原告甲野の両こめかみ部の周辺が約一〇センチメートル四方にわたって地肌をさらけ出したケロイド状となった。そのため、原告甲野は、同年一〇月以降両側頭髪に部分かつらを装着し、その上に全かつらを常時着用することを余儀なくされ、同五四年五月には、両こめかみ部の周辺約二〇センチメートル四方にわたって地肌をさらけ出したはげとなって現在に至っている。その原因は、被告が整形外科医としての修練を経ず、その基本的技術さえも習得していないのに、あえてこの種の手術を行ったことに起因する。すなわち、右二度の両頬のたるみ取りの際、皮膚を剥がす時に毛根自体を機械的に直接破壊し、また、皮膚を切り取り縫い合わせる際、皮膚を無理に引き寄せて縫ったため血行障害による毛根損傷をきたし、ことに二回目の手術では、一回目の手術において皮膚が緊張をきたしているにもかかわらず、これを繰り返したため、より一層皮膚を緊張させ、血行障害による脱毛及びはげを拡大させた。

(二) 前記2(三)の豊乳術から約三か月後の昭和四三年一月ころから、原告甲野の左乳房は、注射痕を中心に、一〇円銅貨大の円形に発赤し、更に約三か月後には同部分がぶどう色に変色し、内部の三か所がでこぼこになり、野球のボールを割ったような感じに硬結し目を覆わせるほどの醜状を呈し、また、右乳房注射痕は、外観上の変化はないものの、内部は同様に硬結している。これらの症状は、手術当時既に死亡事故例を始め多くの後遺障害例が生じ、その有害性が内外の医学界の定説となっていたにもかかわらず、被告がこれを無視して、原告甲野に異物注入法による豊乳術をしたことによる。

(三) 右のとおり、被告の右各治療行為は、診療契約上の債務不履行と言うべきであり、右債務不履行により、原告甲野は、後記損害を被った。

4 不法行為

原告甲野は、昭和五一年一二月二七日ころ、被告医院を訪れ、被告に対し前記後遺障害の再診を依頼しようとして、診察室内で指示に従い、着衣を脱ぎ、かつらを取り、看護婦に乳房部や頭部を示した。

すると、右看護婦は、「まあ、ひどいわねえ、これどこでやったの。うちではこんな手術をした覚えはないわ。」と言い張った。次いで、被告が現れ、原告甲野に対し、氏名の確認、保存カルテの点検、診察等を一切しないで、原告甲野の後遺障害を一目見るなり、「何よ、あんた冗談じゃないわよ。よそでやったものをうちでやったなんて。いいかげんないいがかりはよしてよ、こっちも忙しいんだから。」と大声で怒鳴りつけ、指で原告甲野の額を強く二回小突いて、そのまま奥へ立ち去った。さらに、診察室内において、看護婦一名、事務員風の男二名くらいが上半身裸の原告甲野の周りを取り囲んで、被告同様嘲笑、罵声を浴びせ、原告甲野に着衣及びかつらを着けさせる余裕すら与えず、寒中上半身裸のままで、被告医院外に追い出した。

被告及び同医院看護婦らの右行為は、極めて非常識であるばかりか、著しく医師のモラルに反する不法行為であって、これにより原告甲野は、終生消えることのない屈辱を受け、精神的苦痛を被った。

5 原告甲野の被った損害

(一) 既払治療費 合計 二二万五〇〇〇円

(二) 昭和四五年一〇月分から同五二年三月分までのかつらの購入費及び常時着用のための費用 一〇〇万円

(三) 後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

(四) 不法行為慰謝料 五〇万円

以上合計 一一七二万五〇〇〇円

6 よって、原告甲野は、被告に対し、債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償として一一七二万五〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五二年四月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一) 請求原因1(一)の事実は不知。

(二) 請求原因1(二)の事実は認める。

2 請求原因2の事実は否認する。

被告は、同人が主張するような診療契約を締結したこともなく、治療を行ったこともない。

3(一) 請求原因3(一)、(二)の事実のうち、被告が手術をしたことは否認し、その余は不知。

(二) 請求原因3(三)の事実は否認する。

4 請求原因4、5の事実は否認する。

(丙事件)

一  請求原因

1 当事者

(一) 被告については、甲事件請求原因1(二)記載のとおり。

(二) 原告平賀については、甲事件請求原因1(一)記載のとおり。

(三) 原告甲野は、昭和四二年ころに、被告医院において被告から美容整形手術を受けたと主張している女性である。

2 原告平賀の名誉毀損行為

(一) 本件番組中の原告平賀の名誉毀損行為については、甲事件抗弁記載のとおり。

(二) 原告平賀は、右テレビ番組出演後、「週刊現代(昭和五二年二月二四日号)」(<証拠>)において、本件番組中の発言と同趣旨の、「週刊女性(同年三月八日号)」(<証拠>)において、「川井さんの手術で失敗したからと、私のところへ来る患者さんは数えきれません。全国の大学病院でも、あの方の手術の後始末に手を焼いているところが多いんです。-中略-営利のために危険を承知で手術するのは傷害罪です」と発言し、さらに、「微笑(同年三月二六日号)」(<証拠>)において、「被害者は、川井整形は“現代のアウシュビッツ”(ユダヤ人収容所)だといっていますね。」と発言した。

3 原告甲野の名誉毀損行為

原告甲野は、本件番組出演中、昭和四二年ころ、被告に頬のたるみを取る手術と豊乳術を受け、その手術の影響で頭の毛が抜け、胸が変色してぶどう色を呈し、三段の瘤の醜状になったとして、その手術後の状態をNETに撮影、放映させた。そして同番組中において、最近再診のため被告医院に赴いたところ、「三人か四人でつったって、あたしを真ん中に座らしといて皆で罵倒というか、おどしというか、もうそれは本当にひどい。」、「それであたしは、本当に、猫の子追い出されるような感じで出て帰ってきたんです。」、「あまりひどいですよ。これ。取るだけとってね。それじゃ、まるであたしモルモットですよ。」などと発言した。

4 被告の被った損害

(一) 原告らの前記のようなテレビ、週刊誌のいわゆるマスコミを利用した形での発言及び被告の人格に対するいわれなき誹謗、中傷行為により、被告は著しく名誉を毀損された。特に本件番組において「加害者」として集中砲火を浴び、集団的血祭りにあげられた結果、被告が一生をかけて営々として築いた美容整形医としての名声は一瞬にして破壊され、そのことにより被告が受けた精神的打撃及び苦痛は、あまりにも大きく言語に絶する。

(二) 原告らの右名誉毀損行為により、被告は信用を失い、来院患者も激減し、収入は従前の五分の一程度に減少し、被告医院の看護婦、事務員らも退職した。そのため被告は、医院の経営を維持することすら困難となって医院を閉鎖せざるを得なかった。また、被告がレギュラー出演していたテレビ番組「あなたのワイドショー」(日本テレビ放送網株式会社、以下、「日本テレビ」という。)、「今日は奥さん、二時です」(東京12チャンネル、現在の商号テレビ東京)の出演をいずれも断られたほか、従来毎回依頼されていた「週刊平凡」及び「月刊ミミ」、その他週一、二回程度のテレビ番組(小川宏ショー、11PM、三時のあなた、アフタヌーンショー等)、同じく週三、四回程度あった週刊誌、月刊誌、新聞等からの依頼もなくなって、ついにはマスコミから完全に締め出された。

(三) 以上により、被告の受けた損害は、次のとおりである。

(1) 得べかりし利益の喪失 一億二一二七万二四〇〇円

被告の昭和五一年度(同年一月一日から同年一二月三一日まで)の収入は八〇三六万四三一〇円であったが、翌年度以降収入は減少し、ついには同五四年四月には休業に至ったが、各年度の収入と昭和五一年度との差額は以下のとおりである。

昭和五二年度三六四一万〇七〇〇円四三九五万三六一〇円

昭和五三年度三八五七万三〇五〇円四一七九万一二六〇円

昭和五四年度一四七二万七九四〇円六五六三万六三七〇円

以上昭和五二年度から同五四年度までの収入減少分の合計額は一億五一三八万一二四〇円であり、その間被告は営業を継続し必要経費を負担していたから、右金額が営業上の損害であるが、このうち被告の得べかりし利益の喪失による損害として一億二一二七万二四〇〇円を請求する。

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

右(一)のとおり被告の受けた精神的苦痛はあまりにも大きく、二〇〇〇万円を上回る。

以上合計 一億四一二七万二四〇〇円

5 よって、被告は、原告ら各自に対して、不法行為に基づく損害賠償として一億四一二七万二四〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である、原告平賀については昭和五二年六月七日から、原告甲野については同年六月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めると共に、原告平賀に対しては、被告の名誉を回復するに必要な処分として請求の趣旨第2項記載のとおり謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 請求原因2(一)に対する認否は甲事件の抗弁に対する認否記載のとおり。

(二) 請求原因2(二)の事実は認める。

3 請求原因3の事実は認める。

4(一) 請求原因4(一)、(二)の事実は不知。

(二) 請求原因4(三)の事実は否認する。

三  抗弁(違法性阻却)

1 原告平賀

(一) 本件番組における原告平賀の発言の違法性阻却については、甲事件再抗弁記載のとおり。

(二) 請求原因2(二)の各週刊誌に対する発言については、右テレビ発言と同様に、医師である被告の極めて違法な治療行為により数多くの被害患者が発生しているという重大な社会問題を指摘するものであって、いずれも公共の利害に関する事実に係り、専ら公共の利益を図る目的でされたのであり、右発言内容は真実である。

2 原告甲野

本件番組における原告甲野の発言は、これ以上の被害患者の発生を防止するため、医師である被告の治療ミス等を指摘するものであって、公共の利害に関する事実に係り、専ら公共の利益を図る目的でされたのであり、右発言内容は真実である。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第四  証拠<省略>

理由

第一  はじめに

本件は、全事件を通じて、本件番組における原告平賀と同甲野の各発言が被告に対する名誉毀損行為となるか否か、すなわち、右各発言内容の真実性、そしてその背景となっている「異物注入法」の安全性等が中心となって争われた事件であるから、これに従い、以下、共通する当事者、本件紛争の背景となっている「異物注入法」の安全性について検討した後、事件経過に沿って順次丙事件、甲事件、乙事件について判断する。

第二  当事者

一  原告平賀が、大正七年六月一八日に生まれ、昭和一八年京城女子医専を卒業した医師であり、同三四年渋谷駅前診療所、同三七年大久保整形外科医院を開業し、同三九年一月被告医院と同一区内の新大久保駅前に平賀整形外科医院を開業したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、平賀整形外科医院は、昭和五二年一月当時は、医師は原告平賀を含め五、六名、看護婦五、六名その他三名総合計約一五名で、いわゆる美容整形を中心として診察、治療を行い、テレビ、週刊誌等のマスコミにおいて大々的に宣伝していたことを認めることができる。

二  被告が、大正一〇年六月三日に生まれ、昭和一八年東京女子医専を卒業後、慶応義塾大学医学部において医学博士の学位を取り、ニューヨーク大学医学部大学院を卒業し、アメリカ式美容医学を研究し、同五二年一月当時は、肩書地において川井整形外科医院を経営し、医師は被告一名で、ほかに看護婦二名を含む計三、四名の人員でいわゆる美容整形の診察、治療に従事していたことは当事者間に争いがない。

三  <証拠>によると、原告甲野は、大正九年三月一日生まれの女性で、昭和三四年一二月五日から東京都中央区銀座においてレストラン「ニューローレライ」を経営していることを認めることができる。

第三  本件紛争の背景

一  前記第二認定の事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告は、昭和三五年に川井整形外科医院を開業し、美容相談、人生相談を通じてテレビ、週刊誌等のマスコミに数多く登場し、美容整形の分野では第一人者であり、美容整形ではただ一人の医学博士であると共に世界的権威であると自称、宣伝していた。

また、被告は、シリコン液を用いた注入法による顔の皺のばし、豊頬、豊乳術等について安全かつ即効があるとの信念を持ち、日本テレビが放送した「土曜イレブン」という番組で、被告自ら注入法による豊乳術を実演するなどして、注入法による美容整形を行い、マスコミにおいても積極的に評価する見解を公表していた。

2  原告平賀と平賀義雄は、平賀整形外科医院と歩いて約二〇分の同一区内に同じ美容整形医院を被告が経営していることもあってか、被告のマスコミにおける発言等に関心を寄せていた。両名は、被告が注入法を積極的に評価する発言をしていることを知り、右注入法は高い安全性が要請されている美容整形術においては後遺障害を招来する恐れが高く、医学上許されないとの見解を持ち、これに従って被告の発言を批判すべきものと判断していた。

3  そこで、平賀義雄は、注入法についての正しい医学的知識を紹介する必要があると考え、いずれも、日本テレビが放送した「お昼のワイドショー」の中で、昭和四八年一月ころ、「正しい美容整形の方法と注入法の危険性」、同年八月ころ、「注入法による障害と後遺症及びこれに対する再建術」と題して、注入法は許されないとの自己の医学上の見解を述べた。

二  原告平賀、平賀義雄及び被告が、昭和四八年一〇月ころ、株式会社フジテレビジョンが放送するテレビ番組「三時のあなた」に、一〇数名のいわゆる美容整形外科医と共に出演したこと、その番組において原告平賀と平賀義雄が、被告が注入法による手術を行っていることに対し、米国では、FDAが最も無害と言われているシリコン液さえ、動物実験は別として、人体に注入することを禁止していること、美容目的で注入法を行うことには問題があるので即刻中止すべき旨発言したことは当事者間に争いがない。

三  以上認定のとおり、原告平賀と被告は、本件紛争以前から特に異物注入法の医学上の是非を巡って全く正反対の見解を採っていた。

第四  異物注入法についての医学的知見

前記のとおり、本件の背景には原告平賀と被告との間に、被告の行っていた注入法による美容整形手術の医学上の是非が大きな問題になっており、本件訴訟においても双方がこの点について重きを置いて主張、立証しているので、ここで一応の検討をする。

一  我が国における文献

<証拠>によれば、我が国における諸文献による異物注入法についての医学上の報告、見解は次のとおりである。

1  丸ビル整形外科医院院長内田準一は、「架橋デイメチルポリシロキサン注射液の臨床的応用(形成外科昭和三六年一〇月号)」(<証拠>)において、注入法による豊乳術一〇五例を含む一四一例の治療結果により、架橋ジメチルポリシロキサンは乳房への注入に適し、豊乳術に用いても十分な柔らかさを保ち、副作用も全くなく、事故を起こすこともほとんどないと報告している。

2  韓国南門病院形成外科尹炯信ほかは、「乳房拡大術における脂肪様DMPS(人工脂肪)の新しい注射式埋入法について(形成外科昭和三九年七月号)」(<証拠>)において、八年間にわたり、六六例に脂肪様DMPSによる注入法豊乳術に応用し、ほぼ満足のいく結果を得たことを発表する一方、材料選択とそれに対する最適の使用術式に最も慎重を期すべきであると報告している。

3  札幌中央整形外科武藤靖雄は、「特殊橋かけジメチル・ポリシロキサン(DMPS)補填材による乳房形成術について」(<証拠>)において、昭和三五年から同三九年までの四年間に注入法による豊乳術三一七例(うち男子八例)を報告し、これを積極的に評価している。

4  慶応義塾大学医学部法医学教室助教授船尾忠孝ほかは、「隆房術に関する法医学的見解(昭和四〇年八月二八日付け)」(<証拠>)において、同四〇年二月九日豊乳目的のため白色ワセリンを乳房部に注入時に、白色ワセリンが血管内に混入したことによりショック死した事例を紹介し、このような注入法については、空気の混入、注射器の把持の不安定性、誤って針先が血管内に入る可能性などの危険性があると指摘し、異物注入法の禁止を望んでいる。

5  東京警察病院形成外科大森清一ほかは、「人工埋没材の研究(第2報-形成外科昭和四一年一月号」(<証拠>)において、シリコン液が人工埋没材として理想的な性質を持ち、注入法による顔面、豊胸等二五例の治験例を報告し、十分用いることができると積極的に評価している。

6  札幌中央整形外科医院武藤靖雄は、「隆房形成術の経験(形成外科昭和四三年七月号)」(<証拠>)において、バック・プロステーシス(乳房の形をした薄いシリコン膜の袋に流動性のあるシリコン・ゲルを封入したもの)による豊乳術がより理想的であるとしながらも、シリコン液を用いる注入法による豊乳術は既に安全性を確認されていると述べている。

7  東京警察病院形成外科大森清一ほかは、「Subdermal mastectomyと乳房即時再建術について(形成外科昭和四四年一月号)」(<証拠>)において、豊乳目的で注入法を受けて術後硬結、腫瘤を訴えて来院した患者について、バック・プロステーシスによる再建術を行ったことを報告している。

8  東京大学形成外科福田修は、「いわゆる注射法の欠陥について(形成外科昭和四四年一月号)」(<証拠>)において、昭和三九年一月から同四三年九月までの外来患者中、注射法手術を受け、何らかのトラブルを持った人一三五例を検討した結果、結論として第一に、注射法には、固くなる、円くなる、血管内に入る危険がある等の未解決の難点が多く、現在行われている実験的研究をなお慎重に、かつ長期間にわたって継続してから初めて、治療用としての使用を許すべきであり、第二に、将来満足すべき注射物質が開発されたとしても簡単に取り去る手段が確立されない限り、絶対に正常人に対し、美容の目的で使用すべきでないと提唱している。

9  東京警察病院形成外科大森清一ほかは、「異物注入法(シリコン系材料)によってadjubant’s diseaseは起きるか否か?(形成外科昭和四五年三月号)」(<証拠>)において、シリコンを中心とした異物注入法による手術例二二例について検討した結果、それがヒトアジュバント病の症状を引き起こすという事例は、症例の検査結果からは一例も見られなかったが、アジュバント病の有無の問題と生体内に注入された異物が人体に停滞するかあるいは吸収されて体外に排泄されるか否か、体内でどのように移動するのか等が解明されない限り、現在行われている異物注入法はたとえ臨床結果は安全のように見えても、迂闊に人体に使用すべきではないと考えられると指摘する。

10  日本医科大学形成外科文入正敏ほかは、「豊乳術術後障害-とくに異物注入法による全身変化について-(臨床雑誌外科第三六巻第一二号臨時増刊昭和四六年)」(<証拠>)において、オルガノーゲン注入法により豊乳手術を受けて昭和四五年に死亡した女性のヒトアジュバント症様の症例一例、豊乳術術後障害を訴えて来院した二一名の症例を発表し、その危険性を指摘し、すべての異物注入法は中止すべきであるとの結論が最も妥当かもしれないとしながらも、豊乳術以外の疾患に対しては、異物注入法は、化学成分の明確な資材の使用、適応及び方法の選択、手術時の慎重な態度、術後の経過観察等厳重な規制の下での使用は、形成外科発展のために軟部組織変形の補修法としては不可欠のものとさえ考えていると報告している。

11  日本医科大学形成外科文入正敏ほかは、「豊乳術後に生じたヒト・アジュバント病(?)の一剖検例(形成外科昭和四七年一月号)」(<証拠>)において、乳房形成の目的でオルガノーゲン様の物質の注入後、ヒトアジュバント病と思われる症状を呈し死亡、剖検した事例を報告し、いかなる物質であろうとも絶対安全であると断言し得るものはないであろうと述べる一方、異物注入法を積極的に応用しようと考えているとの見解を示し、慶応義塾大学形成外科杉本智透も、同雑誌において、豊乳術後にアジュバント病と診断された四例を報告し、豊乳術等の異物による形成はもっと慎重に検討すべきであると指摘している。

12  順天堂大学医学部内科塩川優一ほかは、「乳房形成術後おこった、いわゆるヒトAdijrvant病と思われる症例(臨床免疫第四巻第四号昭和四七年四月)」(<証拠>)において、乳房形成の目的で異物注入後、ヒトアジュバント病と思われる症状を呈した事例があるが、注入物はパラフィン系炭化水素が主成分と判明したが、同物質のアジュバント関節炎誘発性は低かったと報告している。

13  日本医科大学形成外科文入正敏ほかは、「豊乳術術後障害(第2報-形成外科昭和四八年一月号」(<証拠>)において、右患者一九名に検討を加えた結果、硬結等の局所変化、発疹等の全身症状が見られたとする一方、ヒトアジュバント病というよりは、全身的な広義の感作病とした方が無難であると報告している。

14  徳島大学医学部第一内科三好和夫ほかは、「人アジュバント病(臨床免疫第五巻第八号昭和四八年八月)」(<証拠>)において、異物注入法による乳房形成術後、乳房形成術後障害として、術後の局所的並びに全身的にいわゆる感作症状を呈する状態が生じた例をヒトアジュバント病の一種として報告している。

15  徳島大学医学部第一内科吉田和代は、「人アジュバント病としての乳房形成術後障害(四国医学雑誌第二九巻第四号昭和四八年八月)」(<証拠>)において、右三好報告と同じ患者七例について、より詳細に考察し、乳房形成術を受けた後に見られる後遺障害は、乳房内に注入されたパラフィンなどがアジュバント効果を呈して、長時間人体を感作し続けた結果として生じるヒトアジュバント病と考え得ると指摘している。

16  東京警察病院副院長大森清一監修の「形成外科学」(昭和四八年発行、<証拠>)によれば、体内注入物としてシリコン液の少量利用は、生命に危険がないから、これから広く利用されようとしながらも、一方シリコン液注入による体内分布、人体への影響については未解決であること、乳房については硬結が残ってもよいという人以外、利用してはならないこと、乳房への大量注入については批判的見解を紹介している。

17  慶応義塾大学形成外科杉本智透ほかは、「異物注入による造形手術後の障害(形成外科昭和四九年一月号)」(<証拠>)において、異物注入法による障害で来院した六六名の患者のほぼ全例が局所硬結、腫瘤を認め、注入物を摘出した二〇症例のうち九例がシリコン液の注入であったと報告し、その中止を呼びかけたいと指摘している。

18  日本医科大学形成外科文入正敏は、「豊乳術等の異物注入による慢性症状日本医事新報第二七三七号(昭和五一年一〇月九日)」(<証拠>)において、異物注入法により注射部位の変形や、注入物質により全身変化等障害は慢性に経過するなどの障害をもたらすこと、同日現在シリコン液等一切の異物注入法は実施していないはずであると指摘している。

19  日本医科大学形成外科文入正敏ほかは、「人工資材による豊乳術の術後後遺障害(形成外科昭和五二年九月号)」(<証拠>)において、豊乳術術後後遺障害を訴えた患者四四名のうち三八名について乳房の硬結を認め、その他皮疹、発熱の全身症状が見られた例もあったことを報告し、結語として乳房における異物注入法は慎重の上にも慎重に行って欲しいと指摘している。

20  東京都立駒込病院医長坂東正士は、「新しい乳房再建手術の動向(毎日ライフ昭和五三年四月号)」(<証拠>)において、異物注入法による豊乳術は悲惨な結果に終わっているとし、バック・プロステーシスによる乳房再建術を勧めている。

21  吉祥寺整形外科上野冬生ほかは、「異物注入法による乳房増大術後障害の治療について(第1報)(形成外科昭和五三年九月)」(<証拠>)において、異物注入法による乳房増大術を受けた者は、さまざまな後遺障害に悩まされているとして、二一症例の治療例を報告している。

22  日本医科大学形成外科文入正敏は、「異物注入-豊乳術術後障害(日本美容外科学会会報昭和五五年一二月二〇日発行)」(<証拠>)において、豊乳術術後障害患者七四例の検討をした結果、局所硬結、リンパ筋腫、皮疹、発熱等の副作用が見られたことを報告し、豊乳術式の変遷は異物使用による不成功例の堆積を意味していると指摘している。

23  順天堂大学形成外科黒沢三良ほかは、「強皮症を呈した異物注入例の検討(第二五回昭和五七年日本形成外科学会学術集会抄録集)」(<証拠>)において、異物注入法による豊乳術及び隆鼻術後に起こったと考えられる強皮症六例について報告し、その中で今日では注入法による美容手術は行われていないと思われると述べている。

24  北里大学形成外科塩谷信幸は、「最近の美容外科(日本医事新報第三二三二号昭和六一年四月五日号)」(<証拠>)において、異物注入法による豊乳術については未だその後遺障害が跡を絶たないが、シリコンのバッグ・プロテーゼの挿入ではこのような問題が起こらないと報告している。

25  このほか新聞記事ではあるが、「朝日新聞記事(昭和四二年一一月八日付け夕刊)」(<証拠>)において、ワセリンによる豊乳術を受けた女性について、ワセリンが血管内に流入して死亡した事例や異物注入法による後遺障害が生じていることを取り上げ、異物注入法の危険性を指摘し、同記事中で、東京警察病院大森清一部長と東京大学形成外科福田修助教授は、とにかく異物注入法は避けた方がよいと警告し、東京大学法医学教室の上野正吉教授は、命にかかわらない美容整形においては、少しでも危険のある方法は絶対に避けるべきであり、このようなことを継続的に行っていた医師の行為は犯罪とさえ言えようと発言している。

二  米国における文献

<証拠>によれば、米国における諸文献による異物注入法についての医学上の見解、報告は次のとおりである。

l アシュレイ、リースほかは、「軟組織補整におけるシリコン液使用の現在の状態(形成及び矯正外科学会誌一九六七年四月号、昭和四二年)」(<証拠>)において、シリコン液の注入について、軽度の漏斗胸や少年の大胸筋の欠如の矯正のためにこれを用いることの有効性、シリコン液による乳房の補整への注射使用については、最も広汎に用いられてきたことを認めた上で、女性の胸部の発癌性の高さ、大量投与の問題、注射のために必要以上に強い力を用いるため動脈系又は静脈系の統合性が破壊される危険があることなどから、現在の知識の状態からみると、乳房補整に使用するのは早過ぎるように思われると報告している。

2 アシュレイ、リースは、「小児の顔面片側萎縮症に対するジメチルポリシロキサン注射法による新しい処置(小児外科ジャーナル第二巻第四号一九六七年、昭和四二年)」(<証拠>)において、小児に対する顔面片側萎縮症へのシリコン液使用の有用性を指摘している。

3 アシュレイほかは、「シリコン注射療法の現在の状態(一九七一年四月、昭和四六年)」(<証拠>)において、シリコン液は軟組織補整のための最有効な物質であり、顔面、筋肉萎縮、胸廓の奇形、漏斗胸の軽度の矯正等についてシリコン注射法が有効であることを報告している。

4 ラルフ・ブロクスマは、「軟部組織補充におけるシリコン液の使用経験(一九七一年一一月、昭和四六年)」(<証拠>)において、少数の例外はあるがシリコン液注射の有効性は顔面に限られるのであって、他の部位では危険であり、乳房のように血管の豊富な部分では塞栓症を起こす恐れがあると報告している。

5 アシュレイほかは、「シリコン液の皮下注射による表面輪廓補整(形成及び矯正外科学会誌一九七三年一月号、昭和四八年)」(<証拠>)において、シリコン液の注射により、顔面、胸部等の軟組織を補填する方法は症状に応じて、量と箇所を慎重に考慮して正しく用いられた場合には、満足すべき成績があげられ、三〇〇名以上の患者について過去三年間の経験では副作用は全く認められなかったと報告している。

6 リースほかは、「部分的脂肪代謝障害のシリコンによる治療(一九七四年一一月一一日発行、昭和四九年)」(<証拠>)において、部分的脂肪代謝障害九例について、シリコン液を顔面の皮下部分に少量反復して注射することによって軟組織補整をし、脂肪組織の欠損部分をカバーでき、問題は起こらなかったと報告している。

7 リースは、「形成・矯正外科におけるシリコン液使用の現状(皮膚外科雑誌一九七六年二・三月号、昭和五一年)」(<証拠>)において、医療用高級シリコン液を指示の要領に従い、適切な方法で使用すれば安全かつ有効なことが証明されているが、注入法による豊乳術は、大量注入(例えば一〇〇ccを超える注入)により、しこりや繊維化等の後遺障害が生じたり、シリコン液が血管内に入り血栓を生じたという後遺障害が多数報告されていることをあげ、豊乳にシリコン液を注入するのは必要量が局所注入安全量をはるかに超えているから良くないことはずっと以前から知られていると指摘している。

8 形成及び矯正外科学会誌第六八巻第三号(一九八一年一月号、昭和五六年)(<証拠>)によれば、シリコン液について次の報告がされている。すなわち、一九六四年(昭和三九年)から一九七二年(昭和四七年)まで八名の医者がダウコーニング社の依頼によりシリコン液注入による治療の実験データを集めたこと、一九六七年(昭和四二年)五月大量注入、高圧下の注入はすべきでないとの報告がなされたこと、試験的な治療は続けられ、一九七八年(昭和五三年)三月に至って対象を顔面重症欠損患者に限定することなどの条件の下に治療、研究が行われていること、その時点においてダウコーニング社はFDAに対し医薬品としての許可を申請していないことが報告されている。

三  米国における規制等

1  <証拠>によれば、一九七七年(昭和五二年)当時、米国においては、FDAによりシリコン液を人体に使用するについては「新薬」として扱われたため、販売等の許可を必要としたがシリコン液を製造していたダウコーニング社はその申請をせず、特別の許可を得た研究者らに対してのみ注射用シリコン液の使用が許されていたこと、シリコン液の使用について五〇州のうちカリフォルニア州が全面禁止、ネバダ州が豊乳術に限定して禁止していることを除くと、それ以外の四八州においては自由に使用できたことを認めることができる。

2  <証拠>によると、シリコン液を製造している米国ダウコーニング社は、一九七三年(昭和四八年)以降同液を販売しているが、販売するに際し、人体に応用(注入又は埋没)しないことを約束する旨の念書を取っており、被告においても同四八年一月から八月まで八回にわたって購入する際、これを差し入れていること、同液の容器ラベルには「食品、薬品、化粧品法に基づき『薬品』としての使用を禁止する。人体注入のために使用してはならない」との警告がされていること、しかし、米国ダウコーニング社が右のような警告を発し、購入者からの念書差し入れを求めた背景には製造者として法的責任を負担しないことを明確にするためでもあったことを認めることができる。

四  まとめ

前記一から三までの認定事実に、<証拠>を総合すると、我が国における状況は、軟部組織変形の補修法として異物注入法が形成外科の手術として行われていたこと、その材料としてはパラフィン系材料、ワセリンなどは危険であるとして、次第にシリコン液に代わっていったこと、シリコン液注入による手術は、顔面萎縮症や漏斗胸、大胸筋欠如の矯正等を中心に最も多く行われ、当時その有用性、安全性が確認されたと発表されていたこと、しかし、その後シリコン液についても特に体内の滞留、吸収、排泄などの機序が確認できず、注射手段についても安全性が確立されていないことから、経過観察、研究の必要性が指摘されていたこと、特に、豊乳術については、昭和四〇年ころには異物注入法による死亡例やヒトアシュバント病様の症状の発生例が報告され、また、米国においても豊乳のための大量注入は否定されていたこと、そのためシリコン液であっても、乳房への注入については、使用を差し控えるべきとの意見も多く見られ、特に乳房への大量注入については現在においては被告自身も許されないとの見解を是認していること、昭和五二年の本件番組放映当時、注入法についてはその危険性の指摘、シリコン液によるそれを含めて後遺障害の報告等が散見されたが、これと反対にシリコン液による注入法については、注入部位、量等適切な方法による使用についての安全性、有効性を認めた報告、研究もあり、学会等において絶対禁止すべきとの意見が確定し、定説化していたわけではなく、厚生省などの国の機関は、医療法等に基づく規制指導等をしていなかったことを認めることができるから、いわば医療行為の特質として、少なくとも昭和五二年当時においては、注入法の是非は個々の医師の裁量判断に委ねられていたというべきであろう。

第五  各事件に対する判断

(丙事件について)

一  原告平賀と同甲野の名誉毀損行為

1 原告平賀と同甲野が、昭和五二年一月二七日本件番組に出演し、次の発言をしたことは当事者に争いがない。

(一) 原告平賀は、「川井医師の処女膜再生手術は本当にひどい手術です。たった一針だけお義理にぱっとしばっただけで、あとは全然処女膜の方は手術していないんです。」、「二〇万の手術料はもちろん高い。ああいう手術じゃなくてちゃんとしても一二万くらいのものです。川井さんというのは、とにかく患者さんがそうおっしゃるような方ですね。皆さんがそうおっしゃっていますからね。来る患者さん一人、二人じゃないんですよ。」、「人道上許せないです。」と発言した。

(二) 原告甲野は、昭和四二年ころ、被告に頬のたるみを取る手術と豊乳術を受け、その手術の影響で頭の毛が抜け、胸が変色してぶどう色を呈し、三段の瘤の醜状になったとして、その手術後の状態をNETに撮影、放映させ、本件番組中の右録画フィルムにおいて、最近再診のため被告医院に赴いたところ、「三人か四人でつったって、あたしを真ん中に座らしといて皆で罵倒というか、おどしというか、もうそれは本当にひどい。」、「それであたしは、本当に、猫の子追い出されるような感じで出て帰ってきたんです。」、「あまりひどいですよ。これ。取るだけとってね。それじゃ、まるであたしモルモットですよ。」と発言した。

2 次に、原告平賀が、請求原因2(二)記載のとおり、本件番組出演後、「週刊現代(昭和五二年二月二四日号)」においても本件番組中の右発言と同趣旨の、「週刊女性(同年三月八日号)」において、「川井さんの手術で失敗したからと、私のところへ来る患者さんは数えきれません。全国の大学病院でも、あの方の手術の後始末に手を焼いているところが多いんです。-中略-営利のために危険を承知で手術するのは傷害罪です」と発言し、さらに、「微笑(同年三月二六日号)」において、「被害者は、川井整形は“現代のアウシュビッツ”(ユダヤ人収容所)だといっていますね。」と発言したことは当事者間に争いがない。

3 原告平賀と同甲野の本件番組における前記1の各発言並びに原告平賀の週刊誌に対する前記2の各発言内容は、いずれも医師である被告の行った治療内容、医師としての技術、倫理性、人格等に対する強い非難であって、被告の社会的評価を低下させるものであると言うことができる。

そして、右各発言が本件番組で放映され、あるいは週刊誌に記事として掲載されたことにより、被告の名誉は、毀損された。

二  名誉毀損行為の違法性

1 本件番組の制作経緯、原告平賀らの発言

<証拠>によれば、以下のような事実が認められる。

(一) 昭和五一年一〇月二二日、乙山夏子は、松本文子の偽名で被告による処女膜再生手術を受けたが、その手術について、値段が高いこと、高い化粧品を売りつけられたこと、応対が良くないことなどの不満から、被告をいわゆる悪徳医と決めつけ、被害を受けたとしてNETの「モーニングショー」宛にその旨の投書を行った。

(二) 同年暮ころ、乙山夏子は、週刊新潮に対し、電話で、右投書内容とほぼ同じ内容の発言をし、その結果、同誌昭和五二年一月六日号には、医師名をX女医としているものの、右の内容と同じもので、客観的に被告と特定させる記事が本件番組に出演した患者の一人の談話の記事と併せて掲載された。

(三) さらに、昭和五一年一二月二〇日ころ、乙山夏子は、NET「モーニングショー」に対し直接電話をかけ、同番組で取り上げてほしい旨申し入れた。同番組のチーフディレクターである古川吉彦は、かねてから同番組宛に被告から化粧品を強引に買わされたという被害内容の電話を受けていたこともあって、同番組の「追跡」コーナーで取り上げるか否か検討するため、被告について、電話や投書のような被害があるのか調査を開始することにした。同番組のスタッフは、昭和五二年一月一〇日ころから被告医院の管轄である牛込保健所、牛込警察署から事情を聴取し、更に都内のいくつかの整形外科医に対し被告の被害患者の紹介を頼んだところ、他の整形外科医からは断られたが原告平賀のみから患者と相談の上で、五例の紹介を受けた。

(四) 古川吉彦らのスタッフは、前記取材及び原告平賀から紹介された患者の取材の結果から、被告の診察、治療により被害患者が生じていることが裏付けられたと考え、「モーニングショー」で被告による被害を取り上げることにした。そして、本件番組の放送予定の二日前である昭和五二年一月二五日、被告に対し、同番組への出演を依頼したが、事前に被告の手術を受けたとして出演を予定している者らと直接面接して、自己の患者か否かを確認したいとの条件が被告から出され、これにNETが応じなかったため、結局、被告は同番組に出演しないこととなった。

そこで、古川吉彦らは、医学上の専門的見地からの発言者として、出演予定者三名(うち一名の原告甲野は録画フィルムによる。)を診察、治療していた原告平賀に対し本件番組への出演を依頼し、これに応じて同人が出演することとなった。

(五) 本件番組においては、最初に被告と被告医院を顔写真入りの実名で挙げ、これを前提として乙山夏子、原告甲野、丙川秋子、レポーター及び原告平賀が発言をした。

まず、乙山夏子(仮名「山下」で出演)が、処女膜再生手術を被告から受けたが、その際の雰囲気、応対が非常に悪く、恐ろしかったこと、高い化粧品を強引に買わされたこと、いい加減な手術であったこと、法外に高い値段であったことを述べた。

次に、原告甲野(「S」として録画フィルムで出演)が、被告から一〇年前に受けた豊乳術が原因で両乳房に硬結等の障害が生じていること、顔の皺取り手術のため耳の上の皮膚を切り取ったことが原因でその部分がはげてしまっていることを述べた上、脱衣し、かつらも脱いだ上半身裸の状態で被害部分を撮影させていること、更にこれらの手術の失敗について善処を求めに被告医院に行ったところ、自分の手術ではないとして追い返されたこと等を述べた。

さらに丙川秋子(「T」として出演)が、四センチメートル四方のはげの治療に被告医院に行ったところ、被告から言葉巧みに広膣手術を受けさせられ、しかもその際に事前の検査は何もなく、手術後に出血を訴えたところ、態度が悪いとして怒るなど被告は医師としての適格を欠く旨述べた。

そして、右発言の合間に同番組のレポーターである小松、山本が右発言を補充し、被告のあくどさを強調するような内容の発言をした。

最後に、原告平賀が、乙山夏子の診察をした医師として紹介されて本件番組に登場した上、医師としての専門的立場から番組全体を総括する形で被告の乙山夏子に対する手術のずさんさ、料金の高さ等を指摘するとともに、それまでの乙山夏子、原告甲野、丙川秋子の発言を是認し、被告を「人道上許せない」などと前記のとおり発言して、強く非難した。

(六) 以上の事実が認められ、これに反する右各証言及び右各本人尋問の結果はこれを信用することができず、右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、被告は原告平賀が本件番組制作に当初から積極的に関与した旨主張するが、本件番組が企画制作されるに至った経緯は前記認定のとおりであって、原告平賀が被告の患者と思われる者を本件番組のスタッフに紹介した事実は認められるが、それ以上に、被告主張のように、原告平賀が他人を動かすことによって本件番組を企画制作させたことまでは認められない。

2 違法性阻却

ところで、名誉毀損については、当該行為が公共の利害に係り、専ら公共の利益を図る目的でされ、摘示された事実が真実であることが証明されたとき、又はその事実を真実であると信じるについて相当の理由があるときは、その違法性が阻却され、結局不法行為は成立しないと解するのが相当であるから、以下これらの点について検討する。

3 公共の利害に係る事実に該当するか

前記認定によれば、原告平賀と同甲野の前記発言は、いずれも被告が行った美容整形手術による被害を中心として、被告の医師としての技術、反倫理性等についての事実を摘示するものである。

医師は人命に直接関与するので、治療、方法を含めたその技量の優劣については社会的に関心も高く、重要な問題を含んでおり、右各発言は公共の利害に係るものであると言うことができる。

4 専ら公共の利益を図る目的をもってされたか

(一) 原告平賀

(1) 原告平賀の本件番組における発言はそれだけを取り上げれば、被告のもと患者として出演した三名の発言を受け、被告の医療技術のずさんさや料金の高さを指摘し、被告が患者の言うとおりの人物であって人道上許せないというものであり、前記公共の利害に係る事実であることからすれば、公共の利益も図る目的をもってされた一面を有している。

(2) ところで、右発言に至るまでに原告平賀が行った裏付けについて検討する。前掲各証拠によれば、原告平賀は、前記三名を治療したこと、特に、乙山夏子については被害部位の診断をしたこと、また、同女が被告の著書「ハロー・ヴァージン」を所持していたこと、原告甲野については被告の手術術式の特徴を認めたこと、被告医院で録音テープを聞かされたとの供述や被告医院のたたずまいについての供述が、他の被告医院受診患者らの供述と一致していることから、同女らが被告から手術を受けたものであることを確認したこと、また、本件番組放映の冒頭で、患者ら自ら被告の手術を受けた旨供述しているのを現認していること等の諸点をもって被告の被害患者であることを確信したというのである。

しかしながら、右認定によっても、原告平賀自身は、前記三名の一方的供述を聞いているのみであり、客観的証拠の収集をした事実は認められず、被告に対しては何らの確認もしていないこと、NETの調査によって、被告医院に原告甲野を除く出演者の名乗る名前のカルテが存在することは一応認められたものの、被告を受診した者と実際に出演した者との同一性(特に乙山夏子)については十分確認されていないこと等を考慮すると、原告平賀が本件番組で発言するに当たって収集した資料は客観的裏付けとなるものは少なく、その中に決め手となるような証拠資料は見当たらない。

(3) しかも、次に認定するとおり、本件番組に出演した患者三名のうち乙山夏子、原告甲野については、右両名の各発言内容が真実であると認めるには証明不十分であり、ひいては、これを前提とした原告平賀の発言についても同様と言うべきである。

(4) 乙山夏子の発言の真実性

ア <証拠>によると、被告は、昭和五一年一〇月二二日、カルテに記載された患者Mにつき、処女膜再生及び膣縮小手術を行ったことが認められる。

ところで、問題は、乙山夏子が右にいう患者Mか否か、そしてMとしても乙山夏子が本件番組において発言した内容が真実であるか否かである。

イ まず、被告の手術を受けた際の偽名は通常本人しか知り得ない事柄であるところ、その偽名を告げて被告医院で探してもらった「M」名義のカルテが存在することについては当事者間で争いがない。

ウ しかしながら、乙山夏子の証言によれば、乙山夏子は、住居、本籍、職業歴等について、被告及び裁判所の問いかけに対して明確な理由もなく真実の回答をせず、信用性に影響があるので明確にするように問い詰められてもあえてこれを秘匿したままであったこと、自ら被告の手術の結果に疑問を感じて、警察署、保健所、厚生省、国税局等に投書、電話等をしたと証言しながら、具体的なことになるとほとんど覚えていないこと、被告医院における手術の時間経過が極めて短かった(一分から三分)と証言しているが、局所麻酔を受けた後の手術であることを考慮すると、これは通常では考えられないほど極端に短時間であること等証言全体についてあいまいな点や不自然な点が非常に多いことが認められる。

エ さらに、これだけ、被告の患者か否かの同一性が争われていながら、証言以外にこれを認めるに足りる客観的証拠が提出されていないことも納得できない。すなわち、手術の後、三日後に来るように被告から言われたのであれば、診察券を渡されていると思われるし、被告医院で化粧品を買ったのであれば、少なくとも化粧品の容器を持っているはずであるのに、これらの物が提出されていない。

オ なお、<証拠>「M」の各署名と<証拠>の各署名が同一人によって署名されたものであるか否かについては、これだけの資料に基づいて判断することは不可能である。

カ そうすると、M名のカルテの存在は認められるが、乙山夏子の証言の信用性は乏しく、ひいては乙山夏子の本件番組における発言の真実性は認めることができない。

(5) 原告甲野の発言の真実性

ア <証拠>によれば、原告甲野は、両こめかみ部の周辺約二〇センチメートル四方くらいが地肌をさらけ出したはげとなっており、また左乳房は乳首の上部分がぶどう色に変色し、三か所が段々に瘤状になっていることを認めることができる。

イ 原告甲野本人は、次のとおり供述する。

原告甲野は、被告医院において、昭和四二、四三、四四年のある年の四月ころに頬のたるみを取る手術を受け、同じ年の九月ころ頬のたるみと額の皺を取る手術を受け、更に同じ年の一〇月ころに豊乳のために両胸の手術を受け、右各手術を受けた際、治療費を支払った。

豊乳術を受けてから二か月位後に、頬のたるみを取る手術をした部位の脱毛が始まり、その約一か月後に左胸の注射をした部位の周りが一〇円玉位に赤くなり、更に三か月位後に左胸がぶどう色に変色して三か所がでこぼこになり、野球のボールを割ったような感じに硬結し、右胸も同様に硬くなってきたので、夫や子供に隠すのが大変であった。しかし、胸の異常については、自分の体質かあるいは自分が使用しているブラジャーに付いている金具のためであると考え、昭和五一年一二月二七日ころに被告医院に行くまで他の病院には全く行かなかった。

そこで、右供述の信用性について検討するに、右のような重篤な症状が出ているにもかかわらず、昭和五一年暮まで病院に行かず、また、その年が何年であったかについてすら明確に供述することができないということは、不自然と言うほかなく、さらに、三回も手術を受けていると言うにもかかわらず、これを客観的に証明する診察券、投薬袋又は領収書を一切提出していない(なお、原告甲野は、右各手術を受けた年について、本件訴状には昭和四四年と記載し、昭和五五年九月三日付け準備書面には昭和四二年と記載している。)。

以上指摘したような事情を考慮すると、原告甲野本人尋問の結果は信用することができない。

ウ そして、原告甲野が昭和四二年ころ被告医院に来院したことを証するカルテが被告医院に存在したか否かについては、前記のとおり、そもそも被告に来院したこと自体についてこれを認める証拠がなく、このことを併せて考えると、右カルテの存在については本件証拠を検討するも、これを認めることができない。

エ 前記第四において認定したとおり、昭和四二年当時、被告以外の医師も異物注入法による豊乳術を実施しているから、原告甲野が異物注入法による豊乳術を受けていたからといって直ちに被告の患者であると即断することはできない。

オ なお、原告甲野の注入物を鑑定できれば、その物質がシリコン液か否か解明でき、ひいては被告による手術か否かを判断する上で、一つの材料にはなると思われるが、原告甲野の同意が得られず、鑑定は実施されなかった。

カ 以上検討したとおり、原告甲野が被告により美容整形のための豊乳術、頬の皺取り等の手術を受けたことを認めるには証拠が不十分であり、原告甲野の発言が真実のものであると認めることはできない。

(6) 原告平賀は、同人が本件番組において発言したのは、被告の行っている異物注入法の危険性を指摘することに主眼があると主張する。しかし、原告甲野の両乳房の障害が被告の手術によるものとして紹介されたが、これが異物注入法によるとの発言は一切なく、そのため異物注入法自体の危険性は取り上げられておらず、原告平賀においても、この点に言及することはなかったのである。したがって、原告平賀主張のように、被告に対し異物注入法を禁止させ、若しくは一般視聴者に対し、被告の治療、手術等を受けないようにすることを目的としていたとすれば、本件番組の趣旨とは異なるものと言うことができる。しかも、前記第四の四認定のとおり、本件番組放映当時には、異物注入法(特にシリコン液を注入するもの)の是非については個々の医師の裁量判断に委ねられていたと言うべきであるから、その高度に専門的な内容に照らしても、学会、医師会での研究会や専門雑誌等に対し、自己の調査、研究の成果を発表するなり問題提起をすることが最もふさわしく、本件番組は少くとも右見解を一方的に発表する場としては穏当を欠くと言うべきである。言うまでもなく、テレビは、新聞、雑誌等に比し、一般視聴者に対して与える印象が非常に強いものである。

(7) 以上のとおり、原告平賀の本件番組における発言を、その状況、事実摘示の際の表現方法の相当性、根拠となる資料の有無等の客観的関係(前記認定のとおり、三名の被害者のうち少なくとも前記二名についてはその発言が真実のものとは認められず、これを前提とした原告平賀の発言も同様である。)、発言の動機等の主観的関係などから考察すると、公共の利益を図る目的をもってされたものと認めることができない。

(二) 原告甲野

原告甲野については、前記認定のとおり、原告甲野が被告の手術を受けたこと自体についての証明が不十分であるから、原告甲野の発言が公共の利益を図る目的をもってされたものと認めることはできない。

(三) 以上によれば、原告平賀と同甲野については、いずれも前記発言が専ら公共の利益を図る目的でされたと認めることはできず、右発言はいずれも違法と言うべきであるから、原告平賀と同甲野は、被告に対し、名誉毀損による損害賠償責任を負う。

三  被告の被った損害

1 得べかりし利益の喪失

被告は、原告らの行為により、患者の信用を失い、被告医院の看護婦、事務員らも退職し、被告は医院を経営することすら困難となり、医院を閉鎖するに至り、また、被告が従前出演していたテレビ番組、執筆依頼のあった週刊誌、月刊誌、新聞等の活字メディアからも完全に締め出されたとして、昭和五二年から同五四年までの三年間の得べかりし利益を喪失したと主張し、被告本人はこれに沿う供述をする。しかし、テレビ番組については、<証拠>によれば、本件番組放映当時、東京12チャンネルの「奥様二時です」については既にレギュラーでなかったことが認められ、また、<証拠>によれば、昭和五二年から同五三年にかけては二回、その後も被告が被告医院を閉鎖した後の同六〇年まで年二、三回は日本テレビの「11PM」という番組に出演していたことが認められる。また、得べかりし利益の喪失を直接裏付ける資料としては、公証人認証部分については成立に争いがなく、その余の部分については被告本人尋問の結果により成立の認められる乙第一二八号証の一しかない。しかし、同号証は総計のみが記載されたわずか一枚の紙面にすぎず、被告の診療収入の減少を認める根拠としては被告本人尋問の結果を併せ考慮しても不十分である。

そうすると、原告らの前記名誉毀損行為によって被告がその社会的評価を低下させられ、そのために被告医院に診察、治療を受けに来る患者の数はある程度減少したものと推認できるものの、原告らの名誉毀損行為と相当因果関係のある具体的な損害額については、これを認めることができない。

2 慰謝料について

被告は、その社会的評価を低下させられ、名誉を毀損され、そのため精神的苦痛を受けると共に、被告医院に診察、治療を受けに来る患者の減少という事態を生じていることを認めることができるが、本件番組については、NETがその責任において製作していること、後記認定のとおり、被告自身も週刊誌等で反論し、右発言中には一部行き過ぎの点もあること等本件に現れた一切の諸事情を考慮すると、被告が原告らの名誉毀損により受けた精神的苦痛を慰謝するための金額としては六〇〇万円が相当である。

そして、謝罪広告については、前記の諸事情、特に、被告も週刊誌により反論していることを考慮すると、現時点では、慰謝料に加えてこれを命じる必要性はないものと考える。

(甲事件について)

一  被告の名誉毀損行為

1 録音テープの成立

(一) 検証にかかる録音テープ(以下「本件録音テープ」という。)について、被告からその存在若しくは真偽について疑問が提起されており、ひいてはその反訳書である<証拠>の内容について争いがあるので検討する。

(二) 被告は、次のとおり主張している。すなわち、本件録音テープは、ラジオ放送などの背景音である音楽、人の声等に理由のない突然の断音が数か所あること、待合室から診察室への移動がありながら、ドアの開閉音が全くなく、採録者の部屋の移動によっても背景音の変動がないこと、受付手続の際の会話、待合室から診察室への移動の際の呼び声、診察室内での問診後の看護婦の指示、待合室からの退出の際の会話等当然あるべき会話が録音されていないこと、診察室内で、録音器の入った手荷物を部屋の片隅にある脱衣篭に置いたにもかかわらず、本件録音テープの録音音量、音声ともにその前後を通じて変化がないこと、本件録音テープには、継続して車両排気音と思われる物音が録音されているが、被告医院の周辺状況とは異なること、本件録音テープの音量の大小の振幅が激しいこと、本件録音テープには、採録音の声がわずかしか録取されていないこと、その他、採録者の報告書と異なる点があること等の諸点からしてつぎはぎのテープではないかとの疑いが濃く、さらに、本件録音テープは本件訴え提起の一年半ほど前である昭和五〇年七、八月ころ既に録取されていた上、その採録者である綱島ミツが、同人主宰の探偵社ウーマンリサーチをその録取時期のみ設立、存続させ、録取直後解散させるなど不自然な行動があることからすると、本件録音テープは到底これを真正なものとは言うことができないと主張する。

(三) しかしながら、本件録音テープの検証の結果によれば、次の事実を認めることができる。まず、断音の点については、雑音のために聞き取りにくい部分があるのは事実であるが、背景のラジオ音声は連続性があり、断音とは言えない。次に、待合室内での、ブザーの音やドアの開閉の音、人の出入りの音、「一万円頂きます。」「お大事に」等の人の声、「小林さん」と人を呼ぶ声の後にドアを開ける音等通常病院で聞かれると思われる音が聞こえ、さらに、綱島ミツに対し宣伝テープを聞かせている間は、ラジオ音声が聞こえにくくなった一方で、別のチャイム音や男性の声が聞こえること、携帯用録音機に塔載されていると考えられる無指向性マイクであれば、診察室程度の大きさの部屋では、録音場所の移動があっても録音レベルにはほとんど変化がないこと、診察室を出て待合室に戻ると、当初から流れているラジオ番組がそのまま継続していること、綱島ミツが「子供を迎えに行く」と言って外へ出た後に車の騒音が聞こえるが、被告医院の周辺の道路状況に照らして違和感がないこと等からすると、本件録音テープの録音時間が二五分強と短いことを考えても、その録音状態には不審な点は見当たらない。

(四) また、<証拠>によれば、本件録音テープを採取した探偵社ウーマンリサーチは、設立から解散までわずか二か月と極めて短期間存在していたことを認めることができるが、そうであるからといって本件録音テープ偽造のために右探偵社を設立したとは考えられない。しかも、片山千年生は、その証言(第一回)において、本件録音テープの声について、その録音は、昭和五五年三月三日に、自宅に訪ねてきた男に騙されて、不用意に原稿を読み、これを録取されたものだと弁解しているが、このことは逆にいえば、自分の声であること自体は認めていることを意味する。加えて本件録音テープには検昭和五四年領第二八五一号符第<1>号のテープが張られており、また、本件録音テープの反訳書である<証拠>の提出は第一〇回口頭弁論期日の昭和五三年一二月八日であり、前述のように本件録音テープには特に不自然な部分は認められず、右反訳は本件録音テープを正確に反訳したものと認められるから、本件録音テープも反訳の時点では存在していたと認めるのが相当である。

(五) 以上からすると、本件録音テープの成立は認められ、その反訳書である<証拠>の内容についても、これを真正なものと認めることができる。

2 本件録音テープによる名誉毀損行為

<証拠>によれば、被告医院では、昭和五〇年夏ころから同五一年にかけて、来院してきた多数の患者一人一人に対し、「-前略-ですからうちではほかの整形と違って、朝から晩まで患者がごった返しておりますね。それは評判がいいから、そして手術なんかも二、三年待っていただく方がざらなんですよ。そしてお断りする患者さんも大変います。そのお断りした方々がほかの整形さん、例えば平賀なんかへ行きますと、技術が悪いからお顔なんかですとお化けみたいになって、身体の手術の場合は前以上に症状が悪くなって、また逆流して院長先生のところにいらっしゃる方が跡を絶たないんですね。-後略-」という、原告平賀に対する中傷を内容とする本件録音テープを聞かせ、あるいは右録音テープのほかに「平賀整形へ行くと酷い目にあう」旨を看護婦に補足説明させていたことが認められる。

そして、右は、原告平賀の整形外科医としての治療、手術等の技術に関する事実を述べたものであり、原告平賀の社会的評価を低下させるものであることは明らかであるから、右認定事実により、原告平賀は名誉を毀損されたというべきである。

3 新聞、週刊誌による名誉毀損行為

(一) 新聞、週刊誌に、原告平賀の主張する記事(甲事件の請求原因3(二)記載のとおり)が掲載されたことは、当事者間に争いがない。

(二) 被告は、原告平賀の行為であることを特定して右記事記載の発言をしたことはないと主張するので検討するに、被告本人尋問の結果によれば、右記事は、新聞、週刊誌が、本件番組後、被告を取材した結果、執筆、掲載されたものであり、被告は、殺到するいくつものマスコミ各社に対して、取材に応じたことを認めることができる。そして、その各社がそれぞれ同様の記事を掲載していることからすれば、右記事の内容と同趣旨の発言があったものと認められる。

(三) 被告は、本件番組における原告平賀の発言が被告の名誉を毀損するものであるから、右被告の発言は、それに対する正当な反論として違法性が阻却される旨主張するので検討する。

(1) 原告平賀が、本件番組に三名の女性と共に出演し、被告の治療方法について批判したことは当事者間に争いがない。

(2) 本件番組における原告平賀の発言が、被告の名誉を毀損する行為であったことは前記認定のとおりであるが、右発言は、外形的には被告の医師としての技量及び倫理感を問題としているのであるから、被告の反論もその訂正、回復のためにされなければならないと考えられる。

(3) まず、被告が、原告平賀に対し、原告平賀の発言は事実無根であるとして営業妨害、名誉毀損等により告訴を考えている旨の反論は、自己の名誉の擁護、回復のための表現としてはやや問題の部分(デッチあげ)があるとはいえ、その必要な限度を超えない範囲内の行為であり、この点についての甲事件請求原因3(二)(2)の週刊文春、同(4)の週刊女性、同(7)の週刊新潮の各記事部分については違法性がないというべきである。

(4) また、原告平賀の告訴についてのコメントは、正確には本件番組での原告平賀の発言に対する反論ではないが、本件番組に関連してされている上、原告平賀の行為に対する被告の評価にすぎないことからするとやや表現に妥当性を欠くとはいえ、やはり自己の名誉の擁護、回復のため、その必要な限度を超えない範囲内の行為であり、この点に関する、同(4)の週刊女性、同(7)の週刊新潮の各記事部分については違法性がないというべきである。

(5) 次に、本件番組が被告を陥れるための原告平賀の陰謀であり、患者らについて、原告平賀に仕組まれた者だとしている点は、単に事実無根を主張する以上に、積極的に自己の考えを発表するものであるから、「これはハッキリとした私をおとしいれようとする陰謀です。過去に、ありとあらゆる妨害を受けていますし、今度の仕掛け人は誰かわかってます。平賀恭子先生です。」という同(1)の東京スポーツ、「どうせ平賀さんに仕込まれた人なんでしょう。」という同(5)の週刊現代、「平賀恭子さんとNETが一体となった事実無根な陰謀です。なにかとマスコミに名の出ている私を、同業者がひきずりおろそうとしているとしか思えませんワ」という同(6)の週刊大衆のこの点に関する各記事部分は、原告平賀の発言に対する反論としては、その必要な限度を超えたものであり、原告平賀の名誉を毀損すると考える。ただし、これについても、被告により、真実であるか真実であると信じるにつき相当の理由の存することを主張、立証することができれば、名誉毀損とはならないが、前記第五の二1(六)認定のように真実であることを認めるに足りる証拠はなく、また、真実であると信じるについての相当の理由については主張も立証もない。

さらに、原告平賀が学位を取得していないとする点については、事実ではあるが、学位と医師の技量等とは直接的関係はなく、「もっとも私としては平賀さんのことは問題にしたくはないんですよ。大体、学位を持っていないような人なんですからね。そういう人と同列に扱われることは私のプライドが許しません。」という同(5)の週刊現代での被告の発言については、やはり被告の反論として必要な限度を超えた、原告平賀の名誉を毀損するものと言うべきである。

(四) 以上からすると、被告による新聞、週刊誌による名誉毀損については、これに先行する原告平賀の被告に対する名誉毀損行為があったとはいうものの、その一部には被告の反論に必要な限度を超えた部分があり、原告平賀の名誉を毀損するものと認めることができる。

二  原告平賀の被った損害

1 被告医院で患者らに流された本件録音テープの内容が原告平賀の名誉を毀損することは前記認定のとおりであるが、一方で、本件録音テープは被告医院以外では流されていないこと及び<証拠>の各記事のように、原告平賀が反論をしていることを考慮に入れる必要がある。

2 また、新聞、週刊誌により被告が原告平賀の名誉を毀損したことは前記認定のとおりであるが、そもそも、右行為は、本件番組による原告平賀の名誉毀損行為が先行し、それに対する反論であること、本件の各記事の内容、<証拠>の各週刊誌の記事のように、原告平賀が再反論していること等、本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告平賀が右名誉毀損行為により受けた精神的苦痛を慰謝するための金額としては一〇〇万円が相当である。

そして、謝罪広告については、前記認定の諸事情とりわけ原告平賀の名誉毀損行為が先行しているという点に鑑みれば、現時点では、慰謝料に加えこれを命じる必要性はないものと考える。

(乙事件について)

一  債務不履行

前記丙事件の理由中の判断において認定したとおり、原告甲野と被告との間に診療契約が締結された事実は認められない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告甲野が被告に対し債務不履行責任を求める請求は理由がない。

二  不法行為

被告本人尋問の結果によれば、原告甲野が来院し、原告甲野の診察に当たったことは認められるが、それ以上に、原告甲野が主張しているような被告が原告甲野を大声で怒鳴りつけ、指で原告甲野の額を強く小突いたとか、さらに、診察室内の看護婦一名、事務員風の男二名が上半身裸の原告の周りを取り囲んで、被告の暴言に併せて、嘲笑、罵声を浴びせ、原告に着衣及びかつらを着けさせる余裕も与えず、寒中上半身裸のままで、病院外に追い出したという点については、これに沿う原告甲野の供述があるものの、前記認定のとおり、右供述は全体として信用性に乏しくこれを信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

第六  結論

以上のとおりであって、甲事件については、原告平賀の請求は、被告に対し、一〇〇万円及び不法行為の後であり訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年五月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、乙事件については、本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、丙事件については、被告の請求は、原告らに対し、各自六〇〇万円及び原告平賀についてはこれに対する不法行為の後であり訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年六月七日から、原告甲野については同様の日である同年六月九日からそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行宣言については、いずれも相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官 原田和徳 裁判官 小島 浩 裁判官 千葉和則)

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